show no mercy

酔ってこい酒場です

LINEスタンプを作る。OK。

 

先週から大江健三郎の『取り替え子』を読み直している、3周目。

この熱量で別途感想をまとめたいと思いつつ書きまとめられてないのだが、『万延元年のフットボール』の傑作っぷりともまた違う、「読みたくなくても読んでしまう」魅力に溢れ、おそらくこの物語の魅力をレバーパテみたくギュッと擬人化させた人間に出会ったら、確実に自分は恋に「落ちてしまう」であろう良さがあると確信している。誰にとっての傑作か?社会にとってではなく、自分にとっての傑作。あー話したいよ。今度スペースで話したいので話します。

 

雨にするか風にするかどっちかにしてくれ!みたいな日でしたね。本当にやめてください。

 


先週、職場で訳もなくパニック状態に陥り、ちょうど1対1で話していた最中になったもんだから、その職場の方に多大な取り繕いと謝罪だけ文面にて送り、早退したんだけれど。まぁ金曜日だったからよかった。明日土日だヤッピー早退。今週の始まりは、地獄。確実に、ちょっとなんかヤバい人と思われてないかて自意識発生(♪鬱ぇ〜鬱ぇ〜鬱ぇ〜わ〜 by 脳内鬱Ado)。思われてるよなぁ。はぁ。

自意識を重ねに重ねる…を止めることに努めよう。元気をトリモロス!そんな1週間が始まった。
自意識によって自分を認識し始めると、厄介な階段構造にも気付かざるおえないよね。
「自分は悲しんでいる」「自分は悲しんでいる自分に気づいてしまった」「自分は悲しんでいる自分に気づいてしまった自分に気づいてしまった」「自分は悲しんでいる自分に……」果てしない。マジで自意識がボルト並みの速度で追い越す、そして一段上の自分から裁かれる。〜でもおかしいかも、〜でもまだおかしいかも。

 

「本当にそれは正しいのか」と問う過程でこの「でも」をこねくり回しまくると着地点はどんどん離れていく一方で、自己否定がどんどん生まれているような体感になるから、そう考えると「こねくり回しまくる」の部分を「荒ぶりまくる」と言い換えれば、「荒ぶりまくる自意識は自己否定になりうる」というのは断言していいはずなのよ。答えがそもそもあるはずもない「理想の自分」を求めていく過程は、あまりにもトゲピーすぎる。『眠れる森の美女』の棘に囲われた城のビジュアルは大好きなんだが。理想の自分など求めなくてよい、と。今求められるべきは、脳を休める以上に魂の浄化……

 

 

以下、今日の出来事

 

・朝の電車内で流れている広告動画、マジでムカつく。「オワコンの現代社会で生きる」という表現、終わっていること=「オワコン」という言葉で表現しようという一昔前のキモさがある。朝の満員電車で最悪な気分になっている身の自分にとっては感覚的に""ムリ"""となるキモさあり。ムリだ……あれを見せようと決断した広告の方々は、一度同じシチュエーションで検証確認してほしい。ムリだから。

 

・帰路時、「降りまぁぁぁす」と張り裂けるような声で叫んでも、最寄りの駅では降りられなかった辛そうな人を横目に、自分は次の駅(自身の最寄り)で降りた。

 

・自分が憧れる人間の特徴、申し訳ない場面でメチャメチャ申し訳ないように振る舞える人間かも。申し訳ない場面で、一番リアクションオーバーになる人に憧れる。

 

・ある程度他人に迷惑はかけないという信条では生きているが、他人に全く迷惑をかけてない(ように見える)人間のことは、自分は信用できないことに気付いた。

 

・NEWキャッチコピー作りました。
「向き不向きより前向きに 甘栗ムキムキ!きむです」

 

・LINEスタンプを作ると決めた。