show no mercy

酔ってこい酒場です

【短編】鳴る、夏

 今までで一番大きな声が鳴ったと思った。それまで鳴るという感覚はなかった。計算して作られた声が、自身の人格を作っていると嘆く日々であった。声だけではない。作られた自分が行う全ての動作も“作られている”と感じる。人の手によって建てられた建造物や、描かれた絵画を見て作られた自分は「すごい」と発するが、すごいのは作られた(創られた、造られた)物同士お互いさまであるはずなのだ。ワンダーだ。 深大寺行きのバスは、子どもが好奇心で掻き集めた玩具を小さな箱に無理矢理押し込めたような息苦しさだった。週2日休みの自分が休日を溶かして(とも言いたくなる)いると実感するほどには、社内の酸素は薄かった。今日は、初めて会う日。正確に言えば、「初めまして」の人と「初めて」会う日は「初めてではない」のだが。生きていれば、同じことをする回数は増える。“初めて”と言い聞かせることで、自分の背中に羽を生やすのだ。「デート」と呼ぶには気恥ずかしく、「デートアプリでプロフィールを熟読した相手と初めて会う」と呼ぶには、生々しい。いつも新鮮に何かを感じたい、と作られた自分は、薄い酸素をめいっぱいに吸い込む。時間にもうし少し余裕を持っていれば、うねる前髪を気にしない自分になれたのに。「ありがとうございまーす」と、陽気なしゃがれ声でバスの運転手に挨拶する目の前の老人を見ると、自分も年を重ねれば周囲への感謝がもっと溢れるようになるのだろうか、と。想像をすれば、積み上げた積み木も崩したくもなります。「将来」という言葉の存在に将来はもっと気が滅入ることになるであろう。知り合いのヘテロセクシュアルの友人は、アプリで知り合った初めて出会う日の行きの道中でこう思うらしい。マッチングアプリのプロフィール上で結婚願望の項目に「いい人がいればしたい」と記載している相手の“いい人”に自分はなれるのだろうか、と。ああ、知らない初めましての相手と出会うときの前髪はうねらないでほしいし、知らない初めましての人との将来など今は考えなくてよい。

 自分よりこじらせた前髪を制御できていない人間がもう一人存在したことを知れてよかった。降り立ったバス停の近くには、“うねうね”と称するにふさわしい重ための前髪から『羊たちの沈黙』のクラリスのような芯の通った目をチラつかせている人間。しかし、クラリスのような揺るぎなさとは真逆に、挙動不審に横揺れする身体が際立っている。不審で、素敵だ。「弓木さん?ですか?」と、その人間は、怪しく二つに区切ってこちらに質問を投げかける。「はい!よくわかりましたね!」文字起こしでもすれば、必ずエクスクラメーションマークが語尾につくであろう返事をする自分、初対面として悪くない作られ方をしている。こうして自分で言い聞かせないと生きていけるわけないでしょうと、己の第一印象に、集中。「なんとなく…分かるじゃないですか。こういうはじめまして同志でお互いを探している“なんとなく”の気配…あれ?わかりますよね?」と、“なんとなく”を二回重ねたこちらへの擦り合わせに苦笑しつつ同意を求めたがる目が愛おしいその人。芯が通りつつも、アンバランスな丸い目が愛おしい。到着した東京都調布市深大寺は、東京都に立っている実感を持てない緑の視界。例えば、交際して一ヶ月の間柄で訪れそうな箱根旅行の趣きを初めましての人と味わえるお得感といったところであろうか。予約をしているわけもない今日のお宿に向かいたい、このまま。この人と?いや、初めましての人だし。「弓木と言います。今日は一日…いや、半日くらいか、どうぞよろしくお願いします。」太陽を味方に付けた程の眩しい挨拶にしてみようとしたところ、畏まった挨拶になったことをどうぞお許しください。「桑田と申します。自分はすごく歩けるんですが、疲れたら言ってください、今履かれているサンダル、ちょっとソール厚めそうなので」足元に目線をやられた!という恥ずかしさと同時に、すごく歩けると自負する桑田の足元、スニーカーに目をやっておあいこにしてみた。ナイキリアクトインフィニティ3。歩くときに歩ける靴を履いてくることが出来る人間であると証明される。桑田は、自分で自分の意見に納得するようにウンと頭を縦に振り、「お茶でもしましょう。ケーキが食べたい今です」と、緊張しているのか緊張していないのかどちらかわからない面持ちかつ、YESorNOを特に求めない形のお誘いを唐突に放つ。半ば強引なようで、この人にはこの誘い方が“合っている”と確信できる。嫌な気分は少しもしなかった。深大寺といえば、お茶より蕎麦でしょうと土地柄すぐさま浮かぶが、特に口には出さず、その後もぼんやりと蕎麦のことを考えながらも弓木は黙って桑田の隣を歩く。歩くペースがほぼ同じである。同い年であることを改めて擦り合わせ、今はそんなにお腹が空いていない互いの状態も擦り合わせ、少しネガティブな将来への不安を暗くなりすぎない塩梅に擦り合わせて会話をした。弓木から、「自分は目を見て話すのが苦手だ」という告白もした。ただ、この数分の間歩いただけでも、アイコンタクトを十分にとったかのような充足感を覚えた。横並びで歩き、目を見合わせずとも、不思議と見つめ合っているような感覚になれる、そんな人間が、実際たまに、いるのだ。この緊張しながらもリラックスできる場面は、人生の中であと何回訪れるだろう。ふと、なんだか今が惜しくなる。過ぎ去ることが確定している今を現在進行形で恋しがっている。過去になってほしくない今の夏、なんてキャッチコピーにもならないような恥ずかしいものがあってたまるか。いや、あってもいい。脳が痛い。

 ジジジ…ジジ…ジッ……ジジ。店の入り口で腹を上に向けた蝉が動かなくなる姿を好奇の目で見つめるヨークシャテリア、息が上がってハァハァと身体全体で酸素を仰いでいる。犬を見つめる汗だくの弓木と桑田…と、その飼い主。一目惚れは、人生これまで一度もしたことがないと神に誓う。人間と犬と蝉が結集した場、「トム&サム」というケーキ屋のショーウィンドウを遠目から見つめながら、入ろうか、ということに落ち着いた。ドアを開けた瞬間、昔の雰囲気が香るだろうというのはなんとなく想像できたが、本当に香るのだ、古い空気が。「“昭和レトロ”という概念は嫌いなんだけど、こういう古さは好きだな。」と、桑田は、並んだケーキを注意深く見つめながら地から浮いたように話す。「わかる、わかる」と、桑田と対照的にするぞという意志を持ちながら適当なニュアンスにならないよう、地から決して離れずに返答をする。これからテーブル席で対面になって桑田とケーキを食べ、紅茶を飲む。頭で予行演習をする、対面は苦手なのに。いや、苦手だからこそ、日常対面訓練をしてきたことを思い出すのだ、と。美容院で鏡と向き合いながら、美容師さんと話す自分の口の動きを見ると、未だに車酔いをしたような気持ち悪さに見舞われ、クラクラする。一挙一動“作られている”ことをいっそう感じるので。作られた自分を感じさせないでほしいので。ふと、桑田には自分がどう見えているのだろうと思った直後、「初めてのケーキ屋では、ショートケーキって相場は決まってるんだよ」と、桑田はそういってキキキと横に広げた笑みをこぼしながら楽しげに話す。その笑い方は、作為的ではなく、発生的だ。一回目のフォークの入れ方で、ショートケーキの形は大胆に崩壊し、魅力が爆発した。なぜこの人はこういう発言をするのか、なぜこのような表情をするのか、桑田に関しては他の人間に対して行うような考察を一切したくないと思える自然の緑がある。考えたくない衝動。いつもは丁寧に取って折り畳むケーキの透明フィルムもこの時は自然と思い切り外してみるなどした。色がない、透明な薄さに気を遣っていた自分をやめる。

 店を出る頃には、扉前で力を振り絞っていたほぼ屍化した蝉は、姿を消していた。生きたのか、死んだのか。「な〜つのお〜わ〜り〜」桑田が突然歌い出した声は、西陽と同化しており、不思議なはじまりの快感を覚えた。履いたサンダルの痛さは想像以上に増したが、暑さと痛みが相性がいいと感じる程には、身体に余裕がある。深大寺へ向かう道右手に「こんぶ」とひらがなの丸っこいフォントで大きく書かれた看板を出した店に目をやる。店内は、袋詰めされた乾燥わかめや昆布あおさなどが売られている。どうやら海藻類の専門店らしい。私は、一瞥しただけで通り過ぎ、店内を物色しているであろう桑田の様子を確認するために、振り返る。その時目に入った光景に「あっ」と、炭酸水の蓋を開けて瞬時に鳴る音のように自分の声が発射したと感じた、鳴った。「こんぶ」と書かれた看板の裏側には、「わかめ」と書かれていたのだ。驚きも大きかったが、声も負けず大きく存在を鳴らす。桑田は、丸い眼にギュッと力を入れてこちらを見ている。「わかめ。」興奮した状態で看板を指差し、リバーシブルな看板であることを伝える。桑田は、再びキキキとより大きく横に引き伸ばした口で「大きい!」と、こちらに向かって放つ。瞬時に、自分の“声が”大きいと言われたという認識が出来なかった。「大きかった!」脊髄から鳴る音に、私は裸足の心で返答する。西陽が沈まないという断言はできない夕方を生きている。桑田の影に自分の影が重なり、異様に胴体が長くなった犬のような影が立体に浮かんで見えた。